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面会交流とは?
片親と離れて暮らす子の福祉の為の制度であり、親の権利ではありません。
夫婦が離婚し、子供の親権者が決められても、相手方には、子供と面会する権利があります。親の権利というより、子の福祉の為です。すなわち離婚により片親と離れて暮らすことになった子の為に認められた制度です。
直接面会するのが原則ですが、諸種の事情により困難な場合には、電話やメールで連絡を取り合う、写真を送付する、学校行事への参加・見学、プレゼントを贈るなどなどの、親の心情を考慮した方法がとられることがあります。
子の為の制度ですから、面会を希望する親にDV癖があったり子によくない環境にあると認められれば直接面会は認められませんし、子供が10歳程度以上ですと、子の意思が尊重され、それが同居している親への忖度であると判断されても尊重されます。
主な面会交流の範囲
- 子供と直接会う
- 電話やメールなどで連絡を取り合う
- 子供にプレゼントを贈る
- 子供の写真や画像を送る
- 直接面会が妥当でないと判断される場合には、子供の学校行事など限られた空間への参加・見学などは、あまり認められません。
正当な理由がないと面会交流は拒否できない
正当な理由がない限り、子供と同居している親が面会交流を拒否することはできません。
それは子供にとって“両方の親に会える”ことは成長にとってプラスになるという考え方からで、面会交流は子供の福祉の為の制度だからです。
ただし、面会交流が子供の福祉にとって明らかにマイナスとなる場合には、面会交流の本来の趣旨に反しますので、制限されることがあります。
面会交流の制限の理由となり得るのは主に次のような場合です。
遠方面会交流と交通費
夫婦関係が破綻し、母親が子供を連れて実家に帰るという事例は少なくありません。
それが、遠方である場合、父親が子供と面会する為には、多額の費用がかかることになります。
最高裁判所は、面会交流に係る費用は面会交流の実現のためにそれぞれの親が支出したものについて、支出したものが負担すべき筋合いのものとの決定を出しました(最高裁判所第二小法廷平成24年12月19日(W-jurist引用))。
同居生活から、遠方に引っ越したのは妻ですが、最高裁判所は、子供の年齢、世話をしてきた実績等から、一方的な連れ去りと評価することは出来ないとも説示しました。
面会交流の制限・拒否の理由となり得る状況
- 子供に暴力をふるう
- 子供を連れ去る恐れがある
- 子供にふさわしくないことを体験させる
- 子供に、夫婦間のことを話したり、同居親の悪口を言う
などですが、養育費との相関関係は認められません。
面会交流の条件を決める時のポイントは?
まず親同士の話し合いで決める
面会交流を行うにあたって、どんな条件を設けるかは自由で、親同士の話し合いで決めることができます。
この時、両親の関係が相当悪いときは、日時や場所の条件を具体的に決めておくことが必要で、なるべく直前の細かな交渉の必要をなくしておくべきです。
ただし、具体的に決めていても、急病などで予定が合わなくなった時にはその限りではないというのが、当然の前提です。子の福祉の為の制度だからです。
両親の関係がそこまで悪くないときや子供が大きいときは、面会交流を妨げないという程度の取り決めが、柔軟に実行されて、妥当な場合が多いです。
面会交流について争いがある場合も、公正証書などにたよらず、調停の場で協議することが最適です。裁判所に蓄積された多くの情報と手法で、合理的な方法による解決が見込まれるからです。
定めておくべき諸条件
特定の曜日・時間だけでなく、予定が合わなくなった時のことを考えて複数案考えておくようにしましょう。
1送り迎えの時間・場所
いつ、どの場所で子供を引き渡し、いつどこで迎えに来るか詳細に決めておくようにしましょう。
2宿泊・旅行・遠出
基本的に宿泊をともなう面会を可とするか不可とするか、また旅行・遠出を認めるかどうかきちんと取り決めておきます。
3連絡方法
電話・メールで連絡を取り合うのは月○回まで等、具体的に決めておくようにします。
4プレゼント
月何回までのプレゼントを可とするか、また誕生日、クリスマス、進学祝いなどのプレゼントを贈っても良いタイミングも決めておくと良いでしょう。
高額なものは、子供の日常の生活に困惑が生じますので、同居の親の同意がない限り避けるべきとされています。
5行事への参加・見学
入学式、卒業式、運動会、学芸会、授業参観など、どの行事への参加・見学を可とするか決めておくと良いでしょうが、狭い空間で、仲が悪い両親が、他の子や親と遭遇することで、子が困惑することが予想されるので、多くの制限が認められる傾向にあります。
面会交流がまとまらない場合は?
家庭裁判所に調停を申し立てます
離婚に向けて別居している間、離れて暮らす親と子供との面会について、親同士の話し合いで面会交流の取り決めができれば問題ないですが、会わせてもらえないような時あるい話し合いがまとまらない場合には、子の福祉の観点から、家庭裁判所に調停を申し立てて合意を目指すことになり、調停で合意に至らない場合には、審判に移行し、裁判所が、子の福祉の基準に従って、決めることになります。
なお、離婚後に、事情の変更が生じた場合、一度取り決めた面会交流の内容を変更する場合も、法的強制力のことを考えて、調停・審判を経て取り決めた方が良いと言えます。
即時抗告
監護者の指定や面会交流等の子に関する調停における、両親の争いにおいて、裁判所は、調査官調査を行い、判断の資料に使って審判を為すことが通常です。
最近の調査官は、教育も受けていて優秀なので、概ね、その調査結果に信頼が持てるといえ、その結果、審判や決定は、調査官調査の結果を重視した内容で為されることが多いものです。
ただ、たまに、客観性を欠いたり、片方の主張に影響を受けたかのような、また先例の勉強不足や社会経験則に欠けると思慮される案件に出会うことも否定できません。その場合には即時抗告をして上級審の判断を仰ぐことが必要です。
東京高等裁判所平成27年(ラ)第608号面会交流審判に対する抗告事件同年6月12日決定は、調査官の調査報告書における、面会交流を控えなければならないような未成年者側の事情がない,との意見を抑えて、
将来の良好な父子関係を構築するためには、相手方の負担を増大させてまで直接交流を行うことは、かえって未成年者らの抗告人(父親)に対するイメージを悪化させる可能性がある、として、
複数の精神科医師の診断結果を、証拠として重視して、調査官調査報告書と異なった判断を示し、直接の面会交流を認めない決定を行いました。
父親のDV等により、母子が心的外傷後ストレス障害との複数の意思による診断を受けており、面会交流により心因反応が見込まれる場合には、未成年者の福祉に添わないものとして、
間接面会(父親からの手紙と母親からの写真)の限度で認めた、妥当な決定だと思慮されます。なお、原審の、東京家庭裁判所の審判も同様の判断を示していました。
調停調書や審判の強制力
裁判所で具体的な条件を定めた面会交流権が認められた場合、合理的な理由がなく、これを拒否した場合、間接強制により、その権利が確保されます。但し、条件が具体的に定められていない場合には、間接強制も認められません(最高裁判所第1小法廷平成25年(許)第48号間接強制に対する執行抗告棄却決定に対する許可抗告事件平成25年3月28日決定)。しかし、最近は直接強制を認める例も増えており、直接強制の手続きを定める法改正の動きもあります。もっとも、各強制は夫婦(ないし夫婦であったもの)の間の問題であり、一定の年齢以上の子供の場合には、親の意思や行動に関わらず、子供の意思が最優先されるので、親に対する強制の問題は起きません(最高裁判所第3小法廷平成30年(許)第13号間接強制に対する執行抗告棄却決定に対する許可抗告事件同31年4月26日決定)。
調停調書や審判の強制力の基準
平成25年3月28日に最高裁判所で、面会交流を認めた審判について間接強制が出来る場合と出来ない場合の基準を示した判決(3事件)が出されました。
面会交流について、直接強制が出来ないことは、従来からの取扱であり(事実上不可能)、審判の強制力は間接強制によるとの取り扱いが為されてきました。
そもそも、面会交流は子の福祉の為に必要と考えられていますが、仲の悪い(悪かった)両親が関与せざるを得ませんから、なるべく強制に依らず説得し理解を得て実行に及ぶというのが、常識的な裁判官の姿勢でした。
また、面会交流が子の福祉に添わないと判断される場合には、これを認めないのも先例の取り扱いでした。例えば、虐待の履歴がある場合、児童ポルノの性癖がある場合、両親の間が悪すぎて協議打合せ等が不可能な場合、等です。
最高裁判所は、面会交流の審判で、監護親がすべき給付の特定がなされているか否かで、間接強制決定をすることが出来るとし、月における日程、曜日、時間、場所、引き渡し場所等が定められていれば特定されているとして、これを認め、他は定められているが引渡方法について何ら定めていない場合等にはこれが出来ない旨を示しました。
調停等においては、詳細な取り決めは、かえって面会交流の実効性を欠く等の事情で、抽象的な定めをすることが多いのですが、審判においては、強制を認めるのが妥当か否かの判断の上、主文が書かれることが求められるということになります。
面会交流の回数と親権
平成29年1月26日に東京高等裁判所で、母親が長女と年100回子供と面会できるようにすると提案した父親の訴えを避け、母親を親権者とする、原審を覆す判決が出されました。
この判決自体には、何ら問題がないのですが、原審である千葉家裁松戸支部が、父親の提案を重視して、父親を親権者とし、母親から長女を引き渡すことを求めたことが、異例であったことです。高裁の判断は、妥当であり、ホッとするとともに、原審の判断は理解しがたいとしか言いようがありません。
離婚において、一番の被害者は子共であり、その福祉を第一に考えるべき、というのが従来からの最高裁判所の指導であり、法の理にかなっています。そこにおいては、大事なことは各個の形式ではなく、全体的実質的な子の福祉であって、母子の関係、同居の継続等の実態的な内容に即した子の福祉を重視すべきであり、これを無視して、年100回の面会交流の提案を重視し、親権を定める等、理解できるものではありません。
高裁は、面会交流の回数について、「月1回程度の提案は不十分なものではない」との判断も示していますが、広く従来から基準とされているものを再確認したものと理解されるものです。
面会交流は、同居しない親の愛情を確認する機会として求められ、月1回であれば、これが満たされるという価値基準があり、特に子供は成長するにつけ、自分の部活や習い事特に友達との交際を大事にするに至るものであるから、
年100回の面会交流などは、子に時間的、体力的な負担を負わすことになり、決して子の福祉にはならない(親の立場である)という実態を理解出来ていれば、松戸支部のような異例と呼ばれる判決は無かったのではと思慮しています。